太陽の季節。
気候はそう形容され日本中はどこを見ても独特な色を放った。海も川も山もアスファルトも、そして人々も。全てが印象的だった。
「罰なんだって」
夜の川辺はとても静かで、水音に呑み込まれそうな錯覚をした。それでも堤防に座る二人の後ろに都市はそびえていた。伝説を語り始めたのは赤星だった。彼の家は大きく、
ありとあらゆる物質に溢れていた。その中の一つである最新のパーソナルコンピュータを使い今まで興味を持ってなかった情報を手に入れた。それは伝説という名の
フィクションだった。
信じてなんてなかった。ただ今日という日を特別に飾りたいだけだった。彦星と織姫。赤星は得意げに語った。聞いてるのか聞いてないのか、新庄が赤星を遮ることは
なかった。だけど夜空を見上げていた。
「宇宙人ているかな」
赤星はぎょっとした。今さっき語ったロマンチックな伝説はどこへやら。まさかこの夜空に宇宙人を探していたなんて思いもしなかった。何てくだらないんだろう。
宇宙人。それは赤星の中でエンターテイメントに過ぎなかった。
「宇宙人はいねーっスね」
「何で言い切れんだよ」
不満そうに振り返った新庄の顔が思ったよりも近くだった。赤星は相手にだけ分かるような動きで唇を近づけた。その相手はぎりぎりのところで静かに顔を離した。
目論んだ突然のキスは相手にとっては必然でしかなかったのかも知れない。新庄は見透かすように笑った。
「ひっでえ」
「ひでーのはどっちだよ。勝手に人の口触んな」
「お願いしたらやっていいの?」
「やらせねー」
「やっぱひでーじゃん」
「だから、何で言い切れんだよ」
「・・・宇宙人?」
「宇宙人」
「だってテレビなんか嘘の塊だし」
「テレビは嘘でも宇宙にゃ嘘なんてねーかも知んねーじゃねーか」
宇宙。そう小さく言って赤星は平等に広がる夜空をもう一度見上げた。見上げたところで宇宙の大きさなんて掴めなかったけど。目に映るのはただ空でしかなかった。
新庄が見ているのと同じ空。宇宙人がいたっていなくたって何ら変わることはないと思った。くだらないことを言い出した男への想いも、キスをしたいという欲求も。
宇宙戦争でも感動物語でも勝手にやっていればいい。
「新庄さんは信じてんスか?」
「可能性の問題」
未知数の可能性は確かに色んなところに存在していた。地球が生まれたことも、今新庄と一緒にいることも、最初は一つの可能性なだけだった。けれどそれは確かな
現実になった。赤星は新庄の手を求めた。それは新たな可能性を見出すことと同じ要領だった。新庄はまたぎりぎりのところで逃げて行った。
「あんた今可能性潰した」
ふっとまた気紛れな笑みを見せた新庄が「宇宙人信じてねーくせに七夕は気にしてんのかよ」と言った。
「今日は愛の日っスから」
「バッ・・・バカじゃねーかてめーはっ」
新庄はいつも赤星とは違う場面で現実的に物事を捉えた。赤星はむっとして言ってやった。
「バカも何も恋人同士だし俺ら」
「どこをどう見りゃそうなんだよ」
「どっからどうみてもかっけー彼氏と可愛い彼女」
冗談だとしても笑える要素は見当たらなかった。新庄は舌打をした。空の中から彦星と織姫を探す方が幾らか建設的だった。こんな場所で七夕の主人公たちや天の川
を見れるとは赤星に連れ出されたときから考えてさえなかった。
「好き」
新庄が味気ない空の観測に飽き飽きしてきた頃、それは聞こえた。何のきっかけもなく生み出された、無から発生した感情みたいだった。だからこそその強さを新庄は
やり過ごせなかった。何だってわざわざ七月七日に都市の味気ない空を?新庄はその意味を掴んだ気がした。さっきの赤星と同じような動きで唇を近づけた。
ようやく二人は夜空の下でキスをした。そしてあらゆるものから遠ざかった。お互いの温もりだけがそこにはあった。きっと宇宙に嘘なんてなかった。
好き、好き。
赤星はそう繰り返した。苦しそうだった。確かに苦しそうなのに止めようとしなかった。このままどうにかなってもいいのかも知れない。新庄はそう思った。
押し倒されて服も髪も汚れ、もしかすると誰かがここを通ることも十分有り得る。それでもこの水音に呑み込まれてしまってもいいのかも知れない。額も頬も唇も首筋も、全てに
赤星の唇が触れる。この時、確かに新庄はそう思った。
「・・・くっそ、最悪だ」
「へ?」
「刺された。蚊に。靴履いてくりゃよかった」
「・・・や、それくれー我慢、ね?」
「てめー足の指先だぞ、我慢なんか出来るかっーつーんだよ」
「お、俺だってもう我慢なんて出来ねーっスよ・・・っ」
「バカヤロウこんなところでやらせっかよ」
「抵抗してなかったじゃねーっスか!ね・・・お願いマジで限界だって・・・」
「どけコラ」
赤星を押しのけて捲くれ上がった黒いTシャツを整えた。たった一瞬でも流されそうになった。知覚さえ置き去りにするこんな感覚を一体何度味わっただろう。赤星に向けられる愛情はどんなものにも似ていなかった。激しくて
穏やかで、恐いくらいに無条件だった。
「仕方ねーな」
新庄は辺りを見渡して「来い」と言った。一体何がどうしたのか赤星には分からなかった。月明かりに照らされた金髪を追った。いつ見ても大きな背中だなあと思った。
その背中が止まったのは鉄橋の下だった。
「ほら」
訳が分からないままコンクリートの壁を背に立った。新庄がひざまずいた時、赤星ははっとした。更に薄暗くなった視界にためらうことなく動く手を見つけた。
「マ、マジでっ・・・?」
「人通っても知らねーからな」
「いや、んなのはどーでもいいんスけど・・・っ」
金髪を見下ろしながら夢でも見てるんじゃないかと思わずにいられなかった。理性の代名詞みたいな新庄がこんなことをするなんて、たとえ夢でも信じがたかった。
新庄の吐息がかかった。それだけの刺激でどうにかなりそうだった。大きく開いた口がゆっくりと受け入れていく。
「うっ・・・わ・・・」
先端が喉の奥に当たる。まだ加減を知らない新庄が顔を歪めた。そのおぼつかない動作は物理的刺激よりも遥かに勝った。
「か、可愛い・・・新庄さん、可愛い」
夢中になって呟きながら金髪を掴んでいた。射精反応が反射に変わることを極力先延ばしにしようと赤星は唇を噛み締めた。こんなこともう二度とないはずだ。新庄が自分から
受け入れてくれるなんて、きっともう二度とない。そう断言出来るくらい二人は一緒にいた。可能な限り長く新庄を感じていたかった。
可愛い、好きだ、愛してる。誰にも渡さない。誰にも触らせない。触ったら殺してやる。絶対殺してやる。常に心の中に潜む狂気を赤星は吐き出した。
必死に口を動かしながら新庄はどれひとつ聞き逃そうとしなかった。異常さに満ちた声はとても苦しかった。ちゃんと聞こえていると、生涯を通して赤星が気づかなくても
彼には関係なかった。言葉の持つ世界がどれだけ儚いものかを新庄は知っていたから。乱暴に髪を掴む手の力。苦しいだけの声という音。自分を求めてくる男の熱。
とても簡単で、誰にも汚せないそれだけが事実だった。
「あ、ああ・・・もう無理かも・・・っ」
そう告げたとき新庄と目が合った。赤く充血し出した目は少しの間赤星を見上げ、すぐ伏せるように逸らされた。新庄の仕草はどれひとつ取っても相手を破滅に導くだけ
の要素を兼ね備えていた。それを本人が分かってくれない限り赤星の被害妄想は消えない。いつか誰かがさらっていくんじゃないだろうか。いつも不安だった。
反応はとうとう反射へと変化した。それからも新庄は何度か吸いつくように動き、赤星は声を堪え切れなかった。二人は息を乱していた。赤星が脱力感に浸っていると
膝をついたままの新庄に突然胸倉を引き寄せられた。バランスを崩されそうになったけれどどうにか保った。唇が重ねられ、そこから粘度の高い液体が流れ込んで来た。
それでも構わないとばかりに赤星は柔らかい唇に食らいついた。味覚が捉えたのはとても形容しがたいものだった。
「・・・まさか自分の飲むとは思わなかったっス。人生って色々あるんスね」
「てめーのなんだからてめーで処理しろよ」
この行為にどれほどの性的な意味合いがあるのか知っているのだろうか?ふと赤星は思い立ったけれど、もし知らないとしてそれを今教えてしまったら今後一切
仕向けてくれやしないだろうという結論を出した。その結果うやむやにすることにした。
「あんたのと同じ味がした」
「う、うるせーな、いちいち感想なんか言ってんじゃねえ」
「あんたのが断然うめーけど」
「おまえはその変態じみた感覚を捨てろっ」
「だってマジっスもん」
新庄は背中を向けて歩き出した。並んでなんて歩いてはくれない。赤星の動きはいつも大きな背中だけを目標にした。
「どこ行くんスか?」
「ここじゃ空見えねーだろうが」
部活が終わって誘い出したのはもちろん赤星の方だった。今日は七夕。たったそれだけでどうにでもなるだろうと思っていた。ほんの一年前までなら気にも留めて
いなかった。七月七日、普段は必要最低限しか目を向けないカレンダーを見て今夜を楽しみにした。日付に価値を見出せたのは新庄と出会ってからだった。彦星と織姫の
フィクションにまさか自分が便乗する日が来るとは驚く他なかった。
「彦星と織姫も今頃やってんのかな」
「てめーはマジで最低だな」
「何で?愛し合ってんだったら当然っしょ」
「何が当然だよ。ちったあその自己主義どうにかしろよ」
「愛がありゃ抱きてーって思うのが当然」
「俺は思わねー」
「・・・その分俺が思うからいいんスよ」
抱きたいなんて思われてないことくらい承知していた。それくらいでいちいち傷ついていられない。それだけで挫けていたら人なんて愛せない。人を愛するにはとても
強くならなくちゃいけない。赤星はそんなことを知った。
「年に一回っきゃ会えねーなんて俺だったら心中する」
心中!新庄は叫びそうになった。幾らなんでも驚かずにはいられなかった。赤星の言動はいつも新庄にとって非日常的だった。
「おまえと心中なんて相手が不憫すぎんだろ」
「は?相手なんかあんた以外どこにいるってんですか」
二人はしばらく心中について言い合った。十五年間と十六年間しか持っていない幼い二人が死についてぶつかり合う。七夕と性と死。色んなものが駆け抜けて行った。
静かな川辺に流れる時間を彼らは自分たちだけのものにした。
いつの間にか二人はまた同じ夜空を見上げていた。当初の目的を思い出した。どれが彦星でどれが織姫かなんて分からなかったけれど、二人は同じ夜空の下で生きていた。
「年に一回会えるから生きていけるんだろ」
月明かりに照らされた新庄が言った。何度も何度も見つめてきた横顔を赤星は変わらない想いで視界の中に留め続けた。
年に一回会えるから生きていける。
それが人を愛せる強さだと赤星は思った。宇宙に嘘なんてないんだから。