「雪、降ればいいのに」
空見上げて新庄さんが言った。
十二月の寒さが示したのは俺の手に余るほどの気持ちと肌を刺すぐらいの冷たさだった。二人分の白い息が闇にとけて静かに消えた。それを
見てると一人じゃねーんだって苦しいぐらいに思った。こんな風にして冬は、俺の感情を分かりやすくさせるのに打ってつけの季節だった。
そうこじつけてはみても解決することなんて何もなかった。
俺は自分でも呆れるぐらいに好きだっつった。でも新庄さんはいつも何も
言わなかった。なんで何も言ってくんねーのって文句もいっぱい言った。それが俺の役割なんだって信じたかった。
「・・・雪」
俺が同じ言葉を言うと、やっぱり白い息はとけて消えてく。
いくら冬っつったって今すぐ雪なんて無茶に決まってる。突然こんな子どもじみたこと言われ
ると俺はいつも悩む羽目になる。何て言い返せばいいのか分かんなくて不安になる。この人の前にいると自分がどれだけ無駄な会話ばっか
積み上げて来たのかってこと目の当たりにする。
「降るわけねーっしょ」
「せーな、降るかもしんねーだろ」
帰り道の空気は間違いなく一日一日冬に近づいた。ひりひりする冷たさが昨日までさらって行きそうで、
俺はちょっとだけそれを心配したりする。だから守りてえって思うし、守ろうと決めた。
「降らねー」
「降る」
「降らねー」
続きは返って来なかった。黙って口尖らせながら空見上げてる。雪が好きなのかもしんねーって何となく思ったけど直接聞くっつう
手段は選びたくなかった。そこには俺の知らねー記憶があるだろうから。こういうことに気づくたび八ヶ月しか持ってねーんだと痛感した。
本当なら今この道歩いてんのは俺じゃなかった。俺が
無理やり割って入った。そうする以外の方法なんてなかった。意味分かんねーって何回も言われた。俺にだって意味なんて分かるわけ
なかった。ただ一緒にいたいだけだった。
そんな帰り道もこの人が留年でもしてくれねー限りいつかは消えてなくなっちまう。それならこんな街、いっそ捨ててやりたかった。
新庄さんがいない場所にどんな価値があんのか俺には分かんなかったし分かりたくもなかったから。けどそれ口にしたら怒られた。
勝手にすればって言われた。それは止めるよりうまい止め方だった。新庄さんはいつも前向いてる。少なくとも俺よりは先を見てる。
「家行ってもいいっスか」
「ダメ」
「何で?」
「用あるから」
「何の用?」
「なんだっていいだろ」
「・・・男?女?」
質問の答えは睨まれて終わった。それだけで余計なこと言ったんだってことに気づく。俺たちが一緒にいたたった八ヶ月。その間には俺たちにしか意味がねー習慣が出来たりした。でも俺が色々妄想してたより断然
少なかった。頭ん中でくさるほど妄想した。この人にばれたらただじゃすまねーこととかだっていっぱい考えた。数え切れねー妄想の中で
現実になったのはすぐ数え切れるぐらいのいくつかだけだった。けどそれは俺にとって何よりも大事なもんだった。どれ一つだって
失くしたくなかった。
新庄さんのこと知らなかった冬をどうやって過ごしてたのかを、俺はもう覚えてない。
俺が振り返る。したら新庄さんがいる。そこにある距離は俺の限界でもあったし、俺の限界を超えることも絶対になかった。足音に紛れて
落ち葉の音がかさかさ鳴った。茶色い葉っぱが落ちる前にいたはずの木はすかすかになってた。時間はときどき目に見えて俺のこと
焦らせてる。二人で並んで歩くのは簡単なことじゃなかった。道に伸びる俺たちの影はいつまで経っても不ぞろいの形を手放そうとしなかった。
この人が持ってるもんは俺の知らねーもんばっかなんだと思う。傷つけたり傷つけられたり、泣かせたり泣かされたり、そういうのを誰かと
繰り返してる。それなのに結局ごめんて言われたり、ごめんって言ったり。毎日飽きもしねーで同じことで泣いて笑って、傷ついてもぜってー
それを切り捨てようとはしない。
そういう感覚分かんねー俺にはこの人と同じもんを見るのが難しかった。たとえば
同じこと願うことが難しかった。だから同じ歩幅を保つことが難しかった。けど共有出来るもんが一つでも多く欲しかった。
「・・・置いてくよ」
「置いてけよ」
新庄さんがにやりと笑ってそう言った。本当に置いて行こうかと思ったけど自分に嘘つく勇気はもうどこにもなかった。どうせ後悔すん
のは俺だ。それは想像しなくても目に見えてた。いつも振り回されて何一つ上手くいかなかった。俺が怒ったって新庄さんは面白そうに笑ってるだけ。明日もまた見れるって思い込みたくて俺は新庄さんから目を逸らすことにした。いつか見れなくなっちまうから時間
かけて目に焼きつけようなんてやり方したくなかった。見上げた先にあった空は冬の景色作ってた。俺がもし魔法使いだったら今すぐ
積もるぐらいの雪降らせた。けど俺は魔法使いじゃなかったらしい。それどころか去年の雪事情すら覚えちゃいねーし。東京に雪が積もる
かどうかなんて今までだったらどうでもよかった。
「雪積もるかな?」
「さあ、積もんねーんじゃねーの?東京だし」
「積もってほしい?」
「そりゃ、どうせ降るんだったら」
十二月の今日この人のことをまた一つ知った。どうせ降るなら積もった方がいいんだ。こうやって時間かけながら俺の中は新庄さんで埋められてく。
迷惑がられてることくれー分かってた。それでもずっと追いかけてて、
やっと一緒に帰ったり出来るようになった。でももうちょっと先の未来はいつだって知らないふりした。だから俺は肝心なこと一言も
言い出せなかった。
寂しいのは冬のせいなんだって言い聞かせようとして止めた。そうすっとよけいに寂しくなる気がしたから。新庄さんが俺に教えたものはあまりに
でかかった。俺はそれを自分じゃどうにも出来なくていつも新庄さんに答えさせようとしてた。何で好きって言ってくれないのかとか、
全部聞いて、何一つ自分で考えようとしてなかった。新庄さんはちゃんと答えてくれた。けど俺には分かんないことだらけだったし、
答えてくれねー時の方が多かった。
この人が俺を残してどっか行っちまうのは分かってる。それが俺のこと好きじゃねーからとか、嫌いだからとか、そういうのじゃないの
も分かってる。ただ新庄さんの行きた
い場所に俺がいないってだけ。もうわけ分かんねーって文句言うことも出来ねーぐらい遠いとこに行くかもしれない。そうなったら寂しくても
俺一人でなんとかしねーと駄目なんだ。一人ってのは思ってたよりも怖かった。それ教えたのも、乗り越えなきゃなんねーって気持ち
教えたのも、俺たちの八ヶ月だった。今すぐいなくなるわけじゃねーのに一人を想像しては泣きなくなった。泣き方なんてとっくの昔に
忘れてるはずだった。
「寒い」
新庄さんが肩すくめて呟いたけど同意を求められてるとは思えなかった。実際それ以上何も言ってこなかった。俺は何の期待も抱かれ
てない。たとえば俺の手にだって何か一つぐらい出来ることあるんじゃねーかとか、そういう期待。ポケットにしまってた新庄さんの手
無理やり引っ張り出した。俺の手はこの人を守るためにある。俺の手の使い道は俺が決める。けどそれをこの人には言わない。
んなの通じる相手じゃねーし。新庄さんは何も分かってない。
だったら俺がその分までちゃんと分かってりゃいいだけだ。俺の手のひらは初めて自分のため以外の役目を持った。
「・・・何してやがる」
「手ぇ繋いでるだけ」
十二月がこんなに寒かったなんて知らなかった。けどそれでよかったんだって言い聞かせた。でかい手繋いで右ポケットに突っ込んだらすげー
あったかくなった。新庄さんは黙ってそっぽ向いてる。それでもやっぱ俺の右手と新庄さんの左手は繋がってる。
何でだか分かんねーけど
、夏に水ぶっかけあったことを俺は突然思い出した。ただくそ暑いっつー理由だけでバカみてーに水浴びせあった。むきんな
った新庄さんが最後にはどっからかバケツまで調達して、俺は見るも無残な姿になった。それはただの普通の夏の日だった。
俺はこの人のことを思い出にするつもりなんて更々ない。思い出さなきゃ会えねーなんて、そんなバカな話あってたまるか。
けど記憶ってのは何でもない瞬間ふいに蘇って、やけに愛しいって気持ちにさせる。
「寒いっス」
俺はさっきこの人が呟いた一言に対して返事した。遅すぎて取り返せないかもしれねーし、返事求められてたとは思えねーけど、
それでも応えたかったから。新庄さんがそれに気づかなくても俺がちゃんと分かってりゃそれでいい。
今年東京に降る初めての雪を一緒に見たいと思った。雪だるま作ろうって提案したらガキっつって笑われた。願いごとは
昔より肌に馴染んで突き刺さるみてーに真っ白だった。
駅に近づけば近づくほど人の数がうじゃうじゃ増えた。せっかく右ポケットに閉じ込めてた手は簡単に奪われてった。駅前のビルのネオンが
相変わらずうるさかった。夜んなるとひけらかすみてーにぎらぎらしだすあの光はどうしても好きになれなかった。あれが光るころ俺たちは別々に帰ってく。
新庄さんが切符買った。その紙切れ一枚も俺から一番大事なもん取り上げちまう。改札までの数メートルはずっと無言で、歩幅は
さっきよりうんと狭くなった。こうして俺たちはお互いのこと探り合ってんのかもしれない。見えないから見ようとしたり、見えるもんちゃんと
見逃さないようにしたり。そういうのはときどき感じる。俺は何も言えねーままいつも新庄さんの背中だけ見てた。
そういうの全部知ってるみてーに結局は新庄さんが振り返ってくれる。
「じゃーな。バイバイ」
「・・・バイバイ」
俺も言ったけど自分でもびっくりするぐらいに小せー声しか出せなかった。ちゃんと聞こえたかどうかも分かんなかった。このまま一生会えなかったらどうしよう。
毎回別々の道辿って帰んなきゃならなくなるたびに、俺はこんなこと考えては怖くなった。自分の中から声が消えてくんじゃねーかって思うぐらいに押し潰され
そうになった。それでも新庄さんは黙ったまま何も出来ねー俺に向けて言ってくれる。
「また明日な」
新庄さんは笑ってた。それなのに寂しそうだった。けどたしかに笑ってた。俺はこの人のこういう顔を見るたび心臓が壊れそうになった。
この瞬間わけ分かんねーぐらい自分が憎くなった。一番の凶器は優しさだってこと
に気づいた。暴力とか悪人とか、んなもんとは比べもんになんねーぐらいに優しさってのは力を持ってた。新庄さんは好きっつってもキスして
も怒る。この人が俺の思い通りになったことなんて今まで一回もない。これからだって死んでも俺の言う通りになってくれねーのは
分かってる。俺と同じだけの気持ちを持ってくれる可能性の儚さだって知ってる。けど誰かの思い通りに動く人間なんてくそ食らえだと思うし、そんなやつが相手だったら好きになんかなってなかった。
俺の言うこと否定して何一つ認めちゃくれない。だけどそういう経過ん中で一番大事なもんだけは忘れずにくれる。明日をつくってくれる。
絶対つなげてくれる。俺は怖がって
ばっかで何も出来ねーやつなんだってこととか、自分に嘘つくことのバカらしさとか、そういうもんをこの人の声はいつも気づかせてくれた。似たような毎日がただ延々と続くこと
の大切さも、この時に知る。明日が来てほしいって痛てーぐらい思う。
俺から新庄さんを取り上げる紙切れが自動改札機をくぐった。
新庄さんは曲がり角で最後にもう一回だけ振り返る。そうしようって取り決めたわけじゃねーけどいつの間にか俺たちの間に習慣として
根づいてた。俺はそれを待つことだけに体中支配されて一歩も動けない。これが俺の習慣だった。俺と新庄さんじゃなきゃ意味がねー
習慣だった。そうであって欲しかった。
「バイバイ・・・」
最後の最後に目が合ったとき俺は言った。けど一人分の白い息に連れられて、その声もまた夜に消えてく。新庄さんはもう見えなかった。
なかなか動いてくれねー足無理やり動かして駅から出た。人もネオンもさっきと変わんねーはずなのに全く違う場所に思えた。
寂しくて寂しくて仕方なかった。俺が自分んちに向かうのは新庄さんが繋いでくれた明日にちょっとでも近づくため。ただそれだけ
のためだ。
数分前に閉じ込めたあったかさに触れたくて、俺は右ポケットに手を入れた。