新庄を後ろに乗せて自転車を走らせる。そこかしこに植えられている街路樹は眩いばかりの光を放っていた。それは人為的に
張り巡らされた電球の光だった。毎年まいとし、この時季になる実であるかのような光の粒だった。それを見た赤星は素直にきれいだと思った。
幸せなとき、この街の美しさを少し知った。新庄さえいれば目に映るもの全てを愛せそうだった。
「で?どこ行くんだったっけ?」
「・・・さっき言ったばっかだし」
一月一日、それは多くの日本人にとって特別な日だったし、赤星にとっても例外じゃなかった。こんなにも特別である今日という
日にまで自分の気持ちが一方的だという事実を思い知らされてしまうなんて、赤星はほとほと悲しくなってしまった。しかしこんなことで
いちいち落ち込んでしまっては恋なんてしていられないことだって誰よりも良く知っているつもりだった。結局、赤星は最初から説明
することにした。
「だから、初日の出見に行くの。分かりました?」
新庄はすっかり忘れていたとばかりに「ああ」と相槌を打った。すっかり眠そうな声色だった。
「眠い?」
「当たりめーだろ」
たちまち鋭くなった新庄の声はまるで何もかも赤星が悪いんだと決めつけているかのようだった。ものの数秒で意識を手放せそうな
ほどの眠気とか、肌を刺すような寒さとか。赤星だって同じように寒いし眠かった。二人は暴力的な寒さと挌闘しながら、初日の出と
称される朝陽を目指した。
数時間前までは去年だったのだから不思議なものだと赤星は思った。昨日と今日で何が違うんだろうと考えてみても何ら浮かぶ事柄は
なくて、それならどうして今日という日がこんなにも特別なんだろうかと、ことさら不思議になってきた。たとえば一昨年の十二月
三十一日や去年の一月一日がここまで特別な日だったとはとうてい思えなかった。そんなことを考えていると、あの春に全てが変わってしまったんだという
結論に辿り着いた。
あの春、ニコガクに入学したときからこうなることが決まっていたのだろうか。新庄のことが気になって、眠れない夜を幾度も越えた。
初めて知った痛みを恋と名づけていつだって新庄を探した日々。赤星の日常はすっかり色を変えてしまった。桜の花が咲く、あの季節に。
「疲れた」
「・・・あんた後ろに立ってるだけっしょ」
自転車をこぐという労働は赤星に与えられた。与えられたと言うよりは立候補に近かった。乗り気じゃない新庄を連れ出すためには
これくらいの労働に文句をつけている場合じゃなかったのだった。だからこんな真夜中に、赤星は自ら進んでペダルをこいでいる。
新庄は前に乗ってやってもいいとは思っていたけれど、何だかよく分からないほどの赤星のやる気に呑まれ、気がつけば赤星の後で
流れる街並みを見ていた。
「まだ着かねーのか?」
「まだ十分もたってねえ」
赤星はふくれっつらで言い返した。やっと二人きりになれたんだから少しぐらい大人しくしててくれてもいいじゃないか。そう思う反面実は、
大いなる喜びをかみしめていた。自転車の二人乗りって最高だ。新庄の大きな手は何のためらいもなく赤星の肩の上に乗せられている。
ペダルをこぐ足が軽かった。今にもにやけだしそうだった。
数時間前の十二月三十一日、ニコガク野球部員たちはカウントダウンという行事を決行した。ちらほらと欠席者がいたけれど赤星はその顔ぶれ
なんて覚えていなかったし、出席者のほとんどさえ曖昧にしか把握していなかった。本当だったら三十一日だって新庄を独り占めした
かった。しかしそれがいかに無謀なことであるかを赤星は経験上十分に理解していた。だからこそ周到に策を練った。大晦日は大人しくして
いる代わりに、新しく始まる年の、一番最初に昇る太陽を二人だけで見に行こうという交換条件を新庄に出したのだった。もちろん眠い
だとか寒いだとかありとあらゆる反対意見を出されてしまった。それでもなお赤星は絶対に諦めずに執念深く懇願し倒し、ついに交渉成立
までこぎつけたのだった。そのあまりの執拗さに、新庄は呆れて言葉も出ないというような表情だったのだけれど。でもどんな風に
思われていたって今ここにいてくれるのならばそれで十分だった。他に望むことなんて、一体何があるんだろう?
元旦の車道は大渋滞を巻き起こしていた。だけど免許を持たない二人にとっては何の関係もないことだった。じりじりと進む車を
横目に二人分の重みを乗せた自転車は順調に滑走した。赤星は大人の不便さを時々一瞥した。新庄は数回寒いとこぼした。嫌味なんか
じゃなくて、ただ本当に寒かった。寒さを訴える新庄に何も返せない自分と、渋滞に巻き込まれることしか出来ない人たち。一体
どちらが無力だろう。赤星はそんなことを考えた。
「着いた」
そう言って赤星が自転車を止めた場所は海辺に造られた大きな公園だった。たった二人きりこの海辺で、初日の出を見るという
のが赤星の目論みだった。しかしそれが達成されることはなかった。日本人の考えることなんてみんな同じようなことばかっりだ。砂浜にはカップルもいたし、
男同士、女同士、男女混同、色んなグループが所狭しと点在していた。赤星は不貞腐れて舌打ちをくれてやった。みんな消えちまえと
思った。新しい年を迎えても、やっぱり赤星にとって他人とはそういうものでしかなかった。
そんな赤星の思いなんて自然界には何の関係もなかったらしい。太陽は赤星の心とは別次元で順調に昇り出した。水平線の向こうから、
朝の始まりを引き連れながら。
空はゆっくりと、様々な色彩に染まっていった。それは赤色だったり、青色だったり、白色だったり、とても不思議な色の層を創造し、
そして誇った。
どちらともなく手を繋いだ。赤星は手と手が繋がった瞬間、思わず新庄の顔を見やった。新庄は静かに目的のものを見つめていた。赤星
の視線に気づいている様子はなかった。朝焼けが掲げるその独特の光景が新庄の中に変化を起こしたのかもしれない。それともただの
気紛れだったのかもしれない。赤星は少しの間男の顔を見ながら考えてみたけれど、結局何も分からなかった。こんなときいつも心の中を
読めたらどれだけ楽だろうかと思った。
誰も彼もが朝陽を見ていた。
だから、誰も男同士で手を繋ぐ少年たちになんて気づかなかった。赤星は
とても緊張して、どうにかなるんじゃないかってぐらいに胸を高鳴らせた。見つかったらどうしようと恐れたわけじゃなかった。そんな
ことを考えるほど器用じゃなかったし、そんなことを気に掛けるほど大人でもなかった。やましいことをしているつもりも一ミリだってなかった。これだけ
大勢の人間がいる中で、新庄だけが自分の気持ちを知ってくれているんだと思ったから。新庄だけが、自分の存在を
受け止めてくれているから。他の誰でもなく、新庄だけが。太陽の光がやけに目に染みた。とてもきれいだと思った。世界は自分が思う
よりも、美しいのかもしれない。赤星はそんなことを思った。そしてまた、隣の男に視線を注いだ。新庄はじっと水平線の向こうを
見つめている。赤星はこの瞬間、美しいという言葉の意味を、本当に理解した気がした。一体何を考えているんだろう。何を思っているん
だろう。分かるはずもないのに、赤星は何度も何度も、新庄の心の中を想像した。
音もなく昇る朝陽を目に映し続けながら新庄が言った。
赤星は丁寧に目を閉じてその声を聞いた。
「朝が来るんだ」
玄関を開けるなり慌てて靴を脱ぎ捨てた新庄の後に赤星も続いた。出来る限り縮こまらせた体は壊れたみたいにふるえが止まらなかった。
上着も脱がずに新庄が一番最初にしたのはこたつのとヒーターの電源を入れることだった。二人は夜明けの寒さをなめていた。
「寒い」
「死ぬ」
がたがたとふるえながらこたつに入った。赤星は隣にある大きな体に身を寄せた。すると珍しく、新庄も赤星の体にすり寄った。
二つの体は頼りなくふるえて、少年たちはまだ幼い十代でしかなかった。それでも車の渋滞なんか知ったことじゃなかったし、こうして
近くにいればどんなに寒くても凍えないことを知っている。赤星は幸せすぎて溶けてしまいそうだった。人間が自然溶化するなんて
のは、まずあり得ない話だけれど。
「寒い?」
「寒い」
「あったかくなる方法知ってるよ」
新庄は首を傾げて振り向いた。時々見せる幼いその仕草に、赤星はある種の欲求を抑えきれなくなった。何も知らないであろう新庄の
唇にそっと触れるだけのキスをした。新庄のやわらかい唇。そこに触れることを許されたのはこの広い
世界の中でたった一人だけだった。宇宙という果てしない領域の中で赤星は誰よりも確実に幸せだった。何でもない高校生の少年を宇宙一
の幸せ者にすることが出来るのもやはり、この広い世界の中でたった一人しかいなかった。新庄はやはり何も分かっていないような目で、
ぼんやりと赤星を眺めた。だからまた、赤星はキスをした。繰り返し何度も何度も呆れるぐらいに
キスをした。胸が焼けるように熱くなって、たまらなくて、新庄の大きな体に覆いかぶさった。
「コラ、調子乗んじゃねえ」
「やらして」
「ふざけんな」
「やってたらすぐあったかくなる」
下から赤星を見ていた新庄は、それはまあその通りなのかもしれないなと考えた。当面の問題はこの寒さをどう回避するかということでしか
なかった。こたつもヒータも、なかなか温もりを施してくれやしない。一瞬にして快適な温度を提供してこその文明の利器じゃないのかと
言ってやりたかった。
なんてことをつらつら考えていると、早速とばかりに赤星が行動を開始した。ごわつく上着を大雑把に放り投げ、新庄の体からも分厚い
上着を引きはがした。新庄はぼんやり赤星を見ていた。こういう時、新庄にはすることが何一つなかった。服を脱がすのも、キスをする
のも、髪を撫でるのも、抱きしめるのも、全部赤星が率先して引き受けた。体のありとあらゆる部分に触れてくる赤星には、こうするため
に生まれてきたんだという情熱さえ感じた。だから、新庄にはすることがなかった。仕方なく赤星を見ていたり、時々気紛れみたいにつんつんした髪を引っ張ったり。
しかし赤星のやり方に段々腹が立ってくる。
「おまえコラ腕離せ」
毎回赤星はどうしてだか新庄の腕を力任せに押さえつけた。それはまるで、逃げられるんじゃないかとでも思っているかのようだった。恐れる
ような強引さで新庄の腕を束縛した。実際、赤星は怖かった。逃げ
られるのを恐れてそうしていた。新庄には新庄の意思がある。赤星はそれをちゃんと分かっていた。だから赤星は赤星の意思で、新庄の
行動をコントロールしようと必死だった。相手の気が変わらないなんて保障はどこにもないから。
「やっぱ止めるとか言うでしょあんた」
「言うかよ」
「こないだ言ったし」
「・・・こないだはこないだだろ」
はてさて、そんなこと言ったっけ?新庄は少しばかり思い出そうとしてみたけれどすぐに諦めた。言ったような気もするし、言ってないような
気もする。赤星は引っつかんだ腕を絶対に離そうとしなかった。必死で、痛みさえ生じるほどの力で、束縛する。新庄はそんな強引さに嫌気が
さした。だから同じだけの力でもって相手の腕を振り解こうとした。すると今度は赤星がまた力ずくでどうにかしようと挑戦してくる。
乱暴なキスをしたり、性急な愛撫をしたり。そしてまた新庄の怒りが増した。この男は最初からこうなんだ。優しくするからとかなんとか
言って丸め込まれ、初めてこの行為に及んだとき、赤星のその言葉は全くのでたらめだったのだから。
「てめえ今日ちょっとでも痛くしたら俺が入れるからな」
「それだけはダメ。・・・俺だって努力してる」
受け入れる側の痛みとか、組み敷かれる側の屈辱とか。赤星にだって分かってた。そんなことも分からないほど冷たくはなかったし、
馬鹿でもなかった。だからいつだって優しくすることを心がけた。好きだから、愛してるから。だけど、キスをして体に触れて、新庄の
声を間近で聞いている内に、何が何だか分からなくなってくる。もっと触れ合いたくて早く繋がりたくて、結局焦って優しくなんて
出来なくなる。優しく、優しく。赤星は頭の中でそう呟いて、新庄の首筋に文字通り優しいキスを落とした。新庄が小さな声を零した。
なんて、可愛い声を出すんだろう。赤星は本気でそんなことを思った。たったそれだけでまた、わけが分からないくらい欲しくなる。
「だから痛くすんなっつってんだろうが!」
新庄は殺意さえこめて相手の体を強く押した。赤星もそれを防ごうと相手の腕をつかむ手の力を強くした。二人はいつも、こうして
愛し合った。あざが出来そうなほど体をつかみ合った。果たしてこれは抱き合っているのか、取っ組み合っているのか、実のところ
本人たちにさえ判断は出来なかった。相手に与え
られた痛みをこらえては倍の痛みを相手に与えた。それがたった十代の、幼い少年たちの愛情表現だったのかもしれない。痛みというものでさえ
彼らにとっては表現方法の一つだった。殺意も愛情も全てがそこにあった。新庄は赤星の力ずくなやり方に真っ向から受けてたったし、
赤星はどんな罵声を浴びせられても耳を塞ごうとはしなかった。それはきっと、誰にも理解出来ない、二人だけの方法だった。
「痛い?」
「痛てえに決まってんだろ」
「すげー好き」
「黙れ」
「・・・そんなにぎゅってしたらもたねーっス」
「んなことしてるかよ!」
「うわっ・・・ほらまたぎゅってした・・・マジでもう無理かも・・・」
「てめえ後で覚えてろよっ・・・」
「可愛い」
赤星はうっとりとした表情で呟いた。新庄はこの男に何を期待しても無駄だということを思い出した。痛みの中に紛れる快楽に溺れる
方が幾分かマシだと思った。新庄は赤星ほど恋人という関係性を理解していなかった。愛し合うことの意味もよく分かっていなかった。
自分が赤星のことを愛しているとはとうてい思えなかった。それでもこうして赤星を受け入れるとき、初めて嫌なわけじゃないんだという
ことに気づいた。こういう観点からすれば、新庄の方がまだまだずっと子どもっぽかった。
熱いぐらいの温度の中で新庄と赤星はぐったりと横たわっていた。こたつとヒーターは今さらになって本来の力を発揮した。新庄の肌に
は汗が浮かんでいた。赤星はその様相をじっと観察した。すると今さっき吐き出したばかりの欲求がまた新たに生まれそうで、慌てて目を逸らす
ことにした。それから恋をするということは、戦争に似ているんだと思った。よく分からないけど。でも、いつも何かと戦っている気がした。
その相手は時に、今背中を向けて隣にいる新庄だったし、時に見ていたくても目を逸らしてしまう自分自身でもあった。たとえば今だって、
新庄の肌の上を流れ落ちていく汗に触れてみたいという欲求と戦っている。相手が何であれ、いつも苦戦を強いられているのは気のせい
じゃなさそうだった。
「寝たの?」
「起きてる」
広い背中の向こうからぶっきら棒な返事が返ってきた。寝る?と聞いたら、寝る、と言い切られた。そう言えばもう昼前だということ
や、徹夜したことや、倒れそうなほどの眠気のことをすっかり忘れ去っていた。赤星は勢いをつけて新庄の体を抱きしめてみた。新庄は
抵抗をしなかった。眠くて眠くて、赤星になんてかまけていられなかった。そうとは知らない赤星は、やっぱり自分は世界一の幸せ者
なんだと信じて疑わなかった。あとは二人で睡眠を貪るだけ。
「きれいだったな、初日の出」
新庄が言った。赤星は新庄の頭に顔を埋めた。そして眠りに落ちていく過程の中で心から思った。
なんて、幸せなんだろう。