「新庄ならいないよ」
御子柴の言葉を聞いているのかいないのか、赤星は出入り口から教室の中を覗きこんだ。新庄はどこにいても良く目立つ。だから
いるかいないかがすぐに分かる。それでもどこかに隠れてやしないかと赤星は念入りに目を光らせた。どれだけ見渡しても
いないもんはいない。そこでようやく御子柴を見下ろして言った。
「どこ行ったか知んない?」
「さあ、知らないなあ。岡田と出て行ったみてーだけど」
赤星は御子柴の返事を聞くやいなや、ここにはいない金髪に向かって「チッ、まったく手のかかる人だ」と毒づきながらきびすを返した。
御子柴はほんの数秒考えてから赤星を呼び止めた。
「赤星!」
その小さな体から大声を振り絞ったのだが赤星が振り返る気配はなく、御子柴はきょろきょろと辺りを詮索するかのように歩いている
後輩を追いかける羽目になった。
「赤星ってば!」
「あら、何でしょう?」
「新庄探してるんだろ?」
「別に探しちゃいませんよ」
「何言ってんだよ、わざわざ教室まで出向いといて」
赤星は「あはあ」と興味なさそうに返す。教室にいないのなら、屋上かはたまた部室とか。図書室、非常階段、一体どこにいるんだか。
そうつららと考えていると突然隣から「よし!」と聞こえてきたものだから、赤星はまだ先輩がそこにいたことに今さら気づいて
ぎょっとした。
「俺も一緒に探してやるよ」
「・・・いいっス、遠慮しときます」
「部活まで待てなかったなんてよっぽどの急用だろう?」
「・・・急用っス。一刻を争う急用。どうしても今日中、いや放課後までじゃねーとダメなんスよ」
そうだ一秒でも早く会わなければならない。朝練のときにも捕まえたのだけれど、こともあろうかあの男はやれ「岡田が呼んでるから」
だのやれ「川藤に用があるから」だの、くだらない理由を取ってつけては手の中をすり抜けて行った。そんな訳で赤星は滅多に立ち寄らない
教室までわざわざ来てやったのだった。それなのにいないだなんてケンカでも売ってるとしか思えない。本当に手のかかる恋人だ。
「なら二人で探す方が早く見つかるじゃねーか。あ、そうだ!皆も呼んで来ようか!?」
御子柴は至って真面目な顔つきで提案をした。その大きな目はきらきらと輝かんばかりだったが、赤星の頭はとにかく新庄に会うべく
行動するためだけに働いていたので小さな先輩にかまっている暇はなかった。そもそも他の部員たちにまでまとわりつかれるのなんて
うんざりだ。
「あの人探すのは俺だけで十分」
赤星の口調の強さに御子柴は思わず口をつぐみ足をぴたりと止めた。赤星はお構いなしでただただ新庄を求めてずんずんと歩いていく。
そんな後輩を見送りながら、あの赤星でも気をつかうことがあるんだなあと御子柴は思っていた。博愛主義者である御子柴はしばしば
事実を間違って受け止めることがあったが、本人は少しも気づいていなかったし、それが彼の幸せなのだから、問題はない。
音を生み出すための教室はしんと静まり返っていた。一年生から三年生の教室が入っている棟とは別々になっているここは滅多に
人も通らない。身を隠すには打ってつけの場所だった。
「一番左のやつって誰だっけ?」
「えーっと・・・名前なんだっけな」
「ヘンデル?」
「それは左から二番目じゃなかった?メンデルとかもいたよな」
「いたか?そんなの」
時として恐れられる音楽室の肖像画。それが掲げられる理由は純粋に偉人たちの功績を称えるためか、単に一昔前に定められた規定の
名残か。どちらにしろ、少なくとも今ここでその肖像画の数々と対峙している少年たちにとっては不気味なものでしかなかった。
「幽霊みてー」
新庄は頬杖をつきながら興味もなさそうにぼそりと零した。薄く開いた新庄のまぶたを見やった岡田はそっと微笑んでから同意を表して
頷き、肖像画鑑賞にもやは飽き始めている親友を察して切り出した。
「新庄は何で逃げ回ってるわけ?」
「に、逃げ回ってなんかねえよ」
「なら別に屋上でも良かったじゃん」
「寒いから嫌なだけ」
これ以上の理由なんてないんだとばかりに言い切った新庄だけれど、岡田の薄気味悪いぐらいの微笑みに何もかも見抜かれている気分
になってしまった。
「・・・あの野郎朝っぱらから尋常じゃねーぐれーしつこかった」
「朝?ああ、朝練時か。そう言やいつにもまして言い寄ってた気がするな」
「ああいう時はぜってーろくなこと考えちゃいねえ。あいつの場合四六時中ろくなこと考えてねーけど」
「それで避難したってわけか」
新庄は不服そうに顔をしかめたが否定しようとはしなかった。何だって悪いことなんかしていないというのにこっちが逃げ回らなきゃ
ならないんだ。これじゃまるで赤星の為に動き回ってるみたいでどうも釈然としない。だけれども捕まってしまえば最後、何を言い出す
やら分かったもんじゃない。分からないからこそあれこれと想像が膨らんで余計に捕まってたまるもんかと考えてしまうのだった。
新庄は頭を抱えた。
「俺の一秒ってあいつのためにあんのか・・・やべえな・・・」
「おまえは時々哲学的だな」
岡田はしみじみとした口調でそう言うと顎に手をやった。そしてその言葉を紐解こうとしていたのだけれど、新庄が相手に問題を
与えたことに気づくことはなかった。何しろ新庄にとっては赤星こそが全ての問題を引き起こしている張本人なのだから。
大きなため息がはかなく音楽室に響き渡ると同時に新庄ははっとした。赤星の魔の手から逃れるためにここまでやって来たことを
思い出した。赤星のことなんて考えていたら元も子もない気がする。考えを払拭すべく立ち上がり目についたピアノの前に座ってみた。
「開かねー」
「ああ、カギかけてんだろ」
「ふうん、いちいちかけんだ、面倒くせー」
「ピアノってバカ高けーからな。ギターも全部鎖で囲われてるし、信用してねーんだよ」
「誰が誰を?」
「人が人を」
岡田がやわらかい表情でそっと囁くように言ったものだから、新庄には悪い意味合いだと感じれなかった。ただ素直に真っ白な
気持ちで「そっか」と返した。別にピアノにカギがかけられていたってかけられてなくたって、世の中に信用されていたっていなくたって、
自分たちの今日には何の関係もない。
「あーあ、見つかった」
一番最初に声を上げたのは岡田だった。赤星はあからさまに嫌な顔をしたけれど口は開かなかった。岡田はにやにやと笑っていた。
たちまち目を鋭くした新庄に睨まれてしまった赤星はまるでその視線だけで殺されるんじゃないだろうかと思った。
「探した」
「探すな」
何て冷たいことを言うんだろう。赤星はむっとしたけれど、全部を岡田のせいにすることで悲しくならずに済んだ。岡田がいるから
照れてるに違いない。よって赤星は世にもしらけた目で岡田を目視した。邪魔者は出て行けという念をこめて。この点においては
幸運だったのだろう、岡田は赤星の思惑をきれいさっぱり理解したらしく、紳士的に振舞った。
「さて、お邪魔虫は行きますか。適当に言っといてやるから遅れて来ても平気だぜ、新庄」
「お、遅れねえよっ何考えてやがんだ・・・!」
「ははは、照れるな照れるな、じゃーな」
ひらひらと手を振って岡田は音楽室を後にした。
「何してたの?」
「別に」
「・・・まさかあんたいかがわしいことでもしてたんじゃねーでしょーね!?」
「てっめえは死ね一回!」
「こんな人気のねーとこで!あんたがそんなに淫乱だったなんて!」
おかしな妄想を膨らませた赤星に切れた新庄がとうとうその胸倉をつかみ上げ、しばらく取っ組み合うこととなった。
チャイムが鳴っても気に留めないぐらい。
「今ここで殺してやる」
「へっ、浮気したくせによく言う」
「てめーの頭にゃちゃんと脳みそ入ってんのかコラ!?」
「どっちから誘ったんスか!もしあんたの方からってんならあんた殺して俺も死ぬ」
「だから!人の話聞いてんのかよ・・・!」
「あいつの方からだっつーなら今から殺してくる」
「どっちもくそもねー、おまえが今ここで死にゃすむ話だ」
「つうか俺が死ぬ時はあんたも道連れだし」
赤星は何も分かってないとでも言いたげに新庄を睨みつけた。そしてきっとまたさっきのように視線だけで人を殺せるぐらいの
目を向けて自分だけを見てくれるんだと期待した。けれど新庄はふんと鼻を鳴らして赤星の制服を握っていた手を呆気なく放していった。
元座っていた場所に舞い戻り両方の手で頬杖をつく。それからしらけた表情でぼんやりし始める。赤星はその現実の流れに着いて
いけなかった。つい今まで新庄の意識を満たしていたのは絶対的に自分だったのに。それが怒りという望んでいるものとは少し違って
いたとしても。新庄はちらっと時計を見た。もう授業が始まっている時間だ。一体全体何の授業だったっけ?すぐには閃かなかった
から面倒になってどうでも良くなった。
「何の用?」
ふいにそう訊ねられた赤星は目をぱちくりとさせた。果たしてこの男は何を考えどんな風に動いているんだろう?睨んできたり
殺すと言ったり、それをあっさり放棄したり。他人であることを忘れたくても、こうして幾度も思い知らされてしまうのだった。
赤星が難解な迷路のような現実で彷徨っていると新庄がまた口を開いた。
「まさかひな祭り祝おうなんて言うなよ」
赤星は瞬間だけ固まった。ほんの瞬間だけ。
「まさかも何もその通りっス」
「て、てめーマジか?マジだったら引くぞ?」
「マジ」
新庄は呆れて声を失っているかのようだったが、赤星は至って真面目だったのだから仕方がない。そもそも言い当てておいて
呆れる方がおかしいに決まってると赤星は思った。どうして新庄には分かるんだろう?
「いいか赤星、良く聞け。ひな祭りってのはちっせー女の子のための日なんだよ」
「んなこと知ってますよ」
「・・・冗談か?そうか、そうだよな。いくらおまえがホモで頭おかしくて意味不明で非常識で狂ってて世間知らずで取り返しつかねー
ぐらいのバカでもそんなたわ言言わねーよな」
何だか凄まじいまでの文句を並べられたような気がする。
「はあ、ほんっとあんたって何も分かっちゃねーっスね」
「マジになった俺が悪かった。この件に関しては」
新庄は心から謝罪したのだが、それがまた二人が全く通じ合っていないことを明確にしたもので、むっとした赤星は鈍感極まりない
この男にでもきちんと伝わるように理路整然と言ってやった。
「あのね、この日本にあんたほどひな祭りが似合う可愛い子が一体どこにいるっつーの?」
「ああ!?お、おまえ何つった・・・?」
「だからあんたほどひな祭りが似合う可愛い子はいねえっつってんの。何べんも同じこと言わせんじゃねーっスよ」
赤星の真剣な面持ちに新庄は眩暈を覚えそうだった。可愛いだとか彼女だとか、そんなくだらないことを日常的に言われ続けているのは
紛れもない事実だ。しかしまさかここまでだったとは!
「日本一ひな祭りが似合う男。すっげー可愛い。さすが俺の新庄さんっつうわけなの」
「はあ・・・」
「だからお祝いしよう、二人っきりで」
ひな祭りだか桃の節句だか知らないけど、赤星はそんなものにこだわってるわけじゃなかった。ただひな祭りを口実にすれば何でもない
昨日よりは一緒にいられる確率が高くなるだろうと踏んだだけだった。それに、赤星の超個人的見解によれば、ひな祭りという単語は
あたかも新庄のためだけに生まれたかのようだった。結局のところクリスマスだろうと七夕だろうと桃の節句だろうと、どうしても
二人で過ごしたい、ただそれだけだ。日本人がこんなにも行事にこだわる感覚を赤星も新庄に出会ってようやく覚えることが出来たの
だった。
「部活終わったら一緒に帰るから、分かった?」
「もう勝手にしろ。つうかおまえ次はこどもの日とか考えてんじゃねえだろうな」
「こどもの日・・・あんたはひな祭りが似合ってる。けど祝ってほしいっつーなら世界一でけーこいのぼり買って世界一盛大に祝って
もいいっス」
熱心な口調でやっぱりおかしなこと言う。そんな赤星が向かえる一秒後、それは自分のためのものなんじゃないだろうかと考えた
新庄は少しぞっとして、少しそんな自分はもしかすると幸せな人間なのかもしれないと思った。
新庄の存在をもとに成り立つ赤星の一秒後。赤星の存在をもとに成り立つ新庄の一秒後。
チャイムが鳴り響いて授業が終わった。やはり新庄は戻って来なくて、岡田はほんの少しだけ寂しいような気もした。何だかんだで
うまくやってんだなと考えていると御子柴がすぐ隣まで来ていた。
「なあ岡田」
「ん?」
「新庄と一緒じゃなかったのか?」
「ああさっきまでな」
「実は赤星が新庄のこと探してたんだよ。何でも一刻を争う急用で、どうしても今日中じゃないとダメとかで・・・」
生真面目な御子柴は困ったように眉を寄せていた。今日中、という言葉に岡田は小首を傾げた。今日だろうと昨日だろうとはたまた
明日だろうと、赤星がいつも新庄の後を追いかけてるのを良く知っていたからだ。数秒間考えて、岡田は小さく声を出して笑った。
そして何が何だか分からないとばかりに不思議そうな顔をしている御子柴に向けて岡田はとても優しくにこやかに言った。
「それならもう大丈夫だよ。そうか、今日はひな祭りか」
「ひな祭り?」
御子柴はいまいちその意味がつかめなくて必死に考えた。
「あ・・・もしかして新庄の妹のお祝いでもしたかったのかな?いやあ、赤星って結構いいとこあるんだなあ」
「ははは、そうだな」
それぞれのひな祭り。今日も平和だ。