様々な色の文字と枠線で構成されている一枚の紙を前に、赤星は腕を組んだ。
今まですらすらと書いていた手は止まり、考え込む。
そんな赤星の周りにいた人間達は、どうしたのかと顔を覗き込んだ。
その瞬間、赤星は手に持っていたボールペンを放り投げ、机の上に置いてあったケータイと上着を持って、外に出た。
幸福論
「ねえ、新庄さん。俺らって、この先どーなんだろ。」
赤星の疑問に、新庄は眉間に皺を寄せ驚いた表情を作ることで答えた。
「そんな顔しなくったって。」
「いや、突然福岡からやって来たと思ったら、開口一番変な質問するからだろ。」
「変って。真面目に聞いてんすけど。」
「いいから上がれ。」
新庄は未だ玄関に立っていた赤星を中に促した。
玄関を上がると、新庄はキッチンに立ち、お湯を沸かし始めた。
「お構いなく。」
一応は声を掛けるけど、数分後にはいい香りのするコーヒーが自分の前に置かれることは知っている。
もう10年近く同じことを繰り返しているんだから。
キッチンを横切り、部屋に入る。
8畳ほどの部屋にベッドとソファとテーブル、そしてテレビが置いてあるだけの、相変わらず素っ気ない部屋だ。高校生の時一人暮らししていたマンションより狭いワンルームだが、仕事が忙しく寝に帰るだけだから
十分、と前に言っていたのを思い出す。
テーブルの上にはノートパソコンと、付箋がいくつも貼ってある書類、吸殻に埋もれた灰皿、そして銀縁の眼鏡があった。
赤星がソファーに座っていると、両手にマグカップを持った新庄が入ってきた。
片方を赤星に手渡しながら新庄は問う。
「で?何があった?」
「何かって?」
コーヒーを啜りながら赤星は新庄の顔を見た。
また眉間に皺が寄っていたが、今度は怪訝そうな感じがうかがえた。
「何かあったから、わざわざ福岡から大阪まで来たんだろ。」
「いや、何かあったって程じゃないけど。」
「あ?」
「ただ、無性にあんたに会いたかっただけ。」
「…。」
小さくため息をつきながら顔を逸らし、新庄はパソコンの前に座った。
「悪りーけど、用が無いなら相手は出来ねえよ。」
「用はあるよ。会いたかったって言ってんじゃん。エッチしよ?」
赤星の言葉を無視して、新庄は眼鏡を掛けキーボードを打ち始めた。
相変わらず冷てーなあ、と半ば諦め気味で思うけれど、ここでちょっかい出したら無言で殴られる。
赤星はそのままソファーにごろんと寝転がった。
白いはずの天井は少し黄ばんでいる。たぶんタバコのせいだ。
高校時代あれほど禁煙を貫いた新庄だったが、大学入学と同時にまた吸い始め、あっという間にヘビースモーカーになった。「2日で1箱くらい。」と言ってたけど、絶対もっと吸っている。
彼が大阪の大学に進学してからずっとこの部屋に住んでいるから、もう8年目か。黄色くなるわけだ。
新庄が大阪の大学に行くって聞いた時もビックリしたが、就職も大阪というのにはもっと驚いた。てっきり東京に帰るものだと赤星は思っていたからだ。
でも高校卒業後、プロ野球選手として福岡に住んでいる赤星としては、まあ東京よりは大阪のほうが会いやすいし、と嬉しく思った。
働き始めた彼に、
「大阪残ってくれてありがとう。」
と声を掛けたら、
「何で。」
と新庄は目を丸くした。
「東京より近いじゃん。いつでも会える距離じゃねーけど、今まで通り俺通うから。」
そう笑顔で彼に言ったら、
「お前関係ねーよ。行きたい会社がこっちにあっただけだ。」
と無表情で一言。なんて単純明快。しかし赤星はその時、体から力が抜けてその場にへなへなと座り込んだのだった。
そんなこともあったな、と思い出し笑いしながら、カタカタカタ、と静かな部屋に響くキーボードの音を背景に、赤星は目を瞑った。
気付くと、部屋は暗くなっていた。
どうやら寝てしまったらしいことを理解しながら赤星は体を起こす。
テーブルの上にあったパソコンと書類はいつの間にか片付けられていて、その代わり灰皿は先程よりさらに吸殻で溢れていた。
その場に新庄はいなかったが、でも部屋に流れてくる匂いで、どこにいるのかすぐにわかった。
赤星は立ち上がりキッチンに向かうと、そこに新庄がいた。
器用に野菜を切りながら、鍋をかき回し味見をする。
今まで何度も見てきた光景だけど、見るたびに心が和んでしまう。
以前そう新庄に言ったら、これまた無言で蹴られたので、それ以来言葉には出さず胸に秘めている。
「起きたか。」
赤星の姿に気付いた新庄が言った。
「はい。カレーっすね。うまそー。」
「食ってくか?」
「もちろん、当たりめーでしょ。あ、皿出しますよ。」
「ああ。つーか、お前時間大丈夫か。」
「え?」
「新幹線の時間、間に合うのか?」
「ああ、ダイジョーブ。今日と明日オフだから、泊まらせてください。」
「泊まるのはいいけど、お前着替えは。」
「持ってきてない。忘れた。」
「忘れるようなモンかよ。」
「来るの突然思い立ったから。パンツだけは途中で買ったけど。」
赤星は顎でソファーの隅に置いた、コンビニの袋を示した。
新庄は頷きながら皿にご飯とカレーをよそり、赤星に手渡した。そしてそれをテーブルに運ぶ。
さらにガラス皿にサラダを盛り、冷蔵庫からドレッシングを出してそれらも運ぶ。
「んじゃいただきまーす。」
ちゃんと顔の前で手を合わせ、2人は食べ始めた。
「うめー。新庄さんやっぱすげーっすね。」
「どこが。カレーなんて誰でも作れんだろ。」
「まあそうかもしんないけど。俺は作れないし。」
新庄の作る料理は、カレーやシチューなど比較的簡単に出来る物が多く、特にレパートリーが多いわけではなかったけど、でも作るものは何でも美味しい。
同じく一人暮らしをしているが全く料理しない赤星にとっては単純にすごいと思ってしまう。
「お前もこれくらいやれよ。」
「やだ。面倒だし、俺にはこんな旨いカレー作れる新庄さんいるし。」
「言ってろ。」
「いやマジで。新庄さん、俺にずっとカレー作ってね。」
首を傾けおねだりする赤星だったが、新庄は何も答えずカレーを口に運んだ。
食事が終わり、片づけをしている新庄が赤星に風呂に入るよう促す。
「俺も手伝うよ。」
と赤星は声を掛けるが、以前一回の皿洗いで3枚皿を割ったことがあり、それ以来新庄は片づけをさせてくれなくなったのだ。
仕方なく赤星は来る途中コンビニで買った下着を持って風呂場に向かう。風呂場の前にある洗濯機の上の棚からバスタオルを取り出すと、それは赤星の所属する球団の名前が入ったもので、思わず苦笑いしてしまう。
以前、赤星が関東の球場で試合をしたとき1つ上の先輩たちが応援に来てくれて、その時みんなでノリで買ったのだと新庄が言っていた。
「赤星や安仁屋の試合に行くと、大して欲しくもないグッズが増えていく。」と見当違いな文句を言っていたのは湯舟だった。
そのくせレプリカユニフォームに身を包み、首からは球団マスコットの絵が入ったタオルを掛けていた。
まあ、ユニフォームの名前は「AKABOSHI」ではなかったが。
そんなことを思い出しながら赤星は風呂に入った。そして赤星が風呂から出た後すぐに新庄も入り、自然と部屋は風呂上りのいい匂いが立ち込めた。
新庄が冷蔵庫からポカリを持って部屋に入ると、既に赤星はベッドに横たわっていた。そしてぼんやりとスポーツニュースを眺める。他球団の選手がFA権を行使し、同時に女子アナウンサーと結婚する、と言う内容のものだった。
赤星が顔を上げたので、目が合う。
「飲むか?」とポカリを差し出すが赤星は首を横に振る。そしてまたテレビを見やった。
「紙と指輪と周りの目、どれが一番重いんだろ。」
独り言のようにぽつりと言った。
新庄がその意味を考えようとした時、赤星は息を吐き出すように笑った。
「まあこれで今後、こいつに何か遭った時は嫁がどんな秘境の地にいたとしても、周りは必ず探し出して連絡するんすね。」
しばらくの沈黙の後、突然赤星がテレビを消した。
そして伸びをして、向きを変える。
「早く寝ましょ。」
と言った顔はへらへらしてたが、どこか暗かった。
電気を消して、新庄もベッドに入る。
いくらベッドがセミダブルとはいえ、片やプロ野球選手と、片や185センチの元高校球児。必然と狭苦しいが、新庄がソファーで寝るのを赤星は許さなかった。どんなに狭くても、暑くても、必ず2人でベッドで眠る。それは赤星が絶対譲らない主張だった。
正直窮屈で面倒くさいと新庄は思うが、あんまり赤星が言うので、ここは譲ることにしている。
新庄が布団に潜り込むなり、赤星は近付いた。
「腕枕してよ。」
新庄が左腕を伸ばすと、赤星はすっと彼の懐に入ってきた。新庄の鎖骨に赤星の唇が触れたが、反応はしないでおいた。しかしこの男は小さな吐息を吐きながら新庄の体を抱きしめる。いつの間にか新庄のスエットの中に手が入り込んでいて、あちこちに手を滑らせている。
自然と、赤星は男として反応してくる。それが足に当たるのを感じながら、新庄は言った。
「今日はやんねーぞ。明日早いから。」
「うん…。」
が、赤星には届かない。手が止まる気配はない。
新庄も小さなため息をついて、自分のスエットに手をいれて赤星の手を引き抜いた。
「寝るぞ。」
「…いーじゃんちょっとくらい。」
赤星は観念したように手を新庄の腰のところに置いたが、それでも離れようとはしなかった。今度は足を絡ませてきた。手が無理なら足で、というところだろうか。
左足を使って新庄の足を開かせようとする。しかし新庄がびくともしないとわかると、また手を今度は下のほうに伸ばしてきた。
しかしここで、
「マジで止めろ。殺すぞ。」
と低い声で一括され、やっと赤星は動きを止めた。
と言っても、やはり新庄からは離れなかった。観念したように、大人しく懐に収まったのだった。
これでようやく寝れる、と安心したものの、新庄は気になっていることがあった。
今日赤星が突然来た理由だ。今までだってこんなことがなかったわけじゃない。
突然人の家に押しかけるなど、赤星の非常識行動は今まで何度もあった。しかし、今日はどこか赤星の様子がおかしい気がする。
新庄は腕の中の人物に疑問を投げかけた。
「今日はどうした?」
「何が?」
「本当に、何かあったんじゃないのか。」
「…。」
赤星は今まで閉じていた目を開けた。そして少し考え込んだかと思うと、のそりと起き上がった。そして電気を点け、ソファーに放置したジーパンのポケットから、一枚の紙を取り出し、新庄に渡した。
「?」
新庄も起きるが、突然の明かりの眩しさに一瞬くらりとする。目が慣れた頃、手にある紙を見た。
そこには、[○○生命 生命保険契約申込書]とあった。
「保険じゃねーか。これがどうしたよ。」
「ここ。」
赤星が指差したところは、[給付金受取人]とあり、そこだけ空欄だった。
意味がわからず、新庄が赤星を見る。
「だから何だよ。」
「いや…。」
「早く言え。」
言いづらそうに唇を四方八方動かしていた赤星だったが、観念したように話し出した。
「今日さ、この保険のセールスと会ったの。俺は別に入りたくなかったけど、球団関係だから無視できなくて。しょうがねーと思ってそれ書いてたんだけど、そこの受取人って欄見て、ペンが止まった。」
「何で。」
「うんまあ…今までそこ親の名前書いてたんだけど。まあそれが普通だよな。」
「まあな。」
「でも今日は、いつかここに新庄さんの名前書ける日がくんのかなーって思って。」
「…。」
「そう考えたらなんかいても立ってもいられなくて、新幹線飛び乗った。」
ベッドの傍に立っていた赤星が新庄の足元に腰掛ける。
「そこって親とか配偶者とか子供とか、まあ大体身内書くじゃん。愛人ってのもあんのかもしんないけど。でも俺らってさ、普通に名前書けなくね?名前書いたとして、一体関係はなんて書いたらいいわけ?恋人?友人?」
もう一度用紙に目を落とすと、確かに他は雑な字で埋まってるのに、[受取人]とその隣の[被保険者との続柄]という欄だけ未記入だった。
「…俺ら、ずっとこのままなんすかね。」
赤星は顔の前で手を合わせ、親指を噛んでいた。
「日本じゃ男同士って結婚できねーし、俺ら長男同士だから養子縁組とかも無理だし。アメリカで同姓婚認められてるとこ行く道もあるけど、そこまでしてって思うし。つかそもそも周りに俺らの関係何て言えばいいの?」
「赤星。」
「わかってるよ。俺だって結婚してーとかじゃねーよ。」
きっと新庄を睨む。
「ただ、あんたとこれから先ずっと一緒にいる人間は俺だっていう証明がほしいんすよ。もし俺が明日死んだとして、その時真っ先に連絡の行く相手はあんたであってほしいんすよ。」
2人の間に沈黙が下りた。
赤星は一気に気持ちを吐露した反動からか、微動だにしなかった。
新庄は、自分の手の中にあるこの薄っぺらい紙が、この目の前の男をここまで追い込んだのかと思うと、破り捨てたい衝動に駆られたが、それは耐えた。そんなことをしても何にもならない。
「…俺は、このままでいいと思ってる。」
赤星の眉が少し動いたが、こちらを向かなかった。
「確かに…俺らは世間から見たらすげー曖昧な関係だよ。はっきり言って、口外できない。多分一生。」
「一生?」
「ああ。お前はプロなんだし、万一公表したら絶対好奇の目に晒される。」
赤星の顔が歪んだ。
「俺も、誰にも言うつもりは無い。親にもな。」
さらに言葉を発しようとした新庄の手を、赤星は突然掴んだ。そして強く握る。それ以上新庄の言葉を聞きたくないという拒否の意思表示だった。
再びの沈黙。
「…相変わらず手冷てーっすね。」
赤星がぽつりと言った。手の冷たい人は何とやら、なんて今さら言う気にもならない。
「お前が熱すぎんだよ。足も。」
そう言って、布団の下から赤星の腰を軽く蹴る。
「新庄さん男のくせに冷え性っすもんね。」
「うっせー。お前が熱持ちすぎなんだって。まあこれからの季節暖かくていいけど。」
「俺湯たんぽ?」
「そう。」
2人は軽く笑った。
と、赤星が新庄の角ばった手の感触を確かめていたら、新庄が手を握り返してきた。
赤星は目を見開いたが、新庄は気にせず用紙をもう片方の手を伸ばしてテーブルの上に置いた。
「…この熱さで、俺は生きてるって実感する。」
そう言って、新庄はさらに手を強く握り締めた。
「お前が確かに俺の隣に居るって、感じることができる。俺はそれでいい。将来のことは考えねえ。」
「…今が一番大事って事?」
「そうじゃねえ。今がよければそれでいいなんて俺は思わない。俺は…、お前の存在を感じることで、自分が生きてるって実感する。それがどんなに一瞬でも、俺にとってはそれが一番重要なんだ。明日俺が死んでも、お前が生きてるならそこに幸せがあると思う。」
言い切って、新庄は気まずそうに顔を伏せた。
そんな新庄を見て、赤星はゆっくりと息を吐いた。それはかすかに震えていた。そして腰を上げ、新庄にもたれかかる。
「今も、幸せ?」
「…さあな。」
「俺は今すげー幸せなんすけど。」
「よかったな。」
「ははっ…。」
力無く笑ったが、それとは裏腹に新庄を強く抱きしめた。
「新庄さん、ありがとう。」
答える代わりに、新庄は赤星の頭を撫でた。
頭に触れる彼の手はとても冷たいけれど、そこから例えようのない優しさが溢れている。その優しさは赤星を包み込み、赤星の存在を確かなものにする。
「新庄さん、好きっす。愛してる。もう絶対あんたと離れない。」
さらに力を込める腕に窮屈さと安堵感を感じながら、新庄は頷いた。
そして2人は見つめあい、キスをする。お互いの唇の感触や味を確かめるかのように何度も吸い合い、舌を絡ませる。
「俺を感じる?」
うっすらと瞳を開け赤星が尋ねると、新庄は片方の口角だけ上げた。
「お前は?」
「めちゃくちゃ感じる。」
赤星はそのまま新庄を押し倒す。そして自分のトレーナーを脱ぎ捨て、新庄の上に跨る。再度キスの雨を新庄に振り掛けると、甘くていやらしい息遣いが2人を包む。
「死ぬほど俺を感じて。」
そう言った時の、ふっと見せた新庄の笑顔は幸福に酔っている表情なのだろうか。
だとしたら、赤星は誓う。
一生を掛けて、俺の全てをあんたの体に染み込ませてやる、あんたを幸せにすることが俺の使命なんだから、と。
性格も仕事も囲まれてる環境も何もかも違う二人。
二人の未来に保障も、確証も何も無い。形ですら表せない。
それでも一緒にいたい。
お互いを求め、感じあうことの幸せを知っているから。
大切なのは、一緒に過ごす時間の長さでも将来の保証でもなく、心の中の互いの存在。
明日俺が死んでも、お前が生きてるならそこに幸せがある。
そう言った新庄の想いを、赤星は噛み締めていた。
教えてあげないよの
ナンコさまにリクエストして書いてくださった作品です!
新庄さんと赤星くんに常識なんて通用しません。
結局のところ二人の愛が
あれば世界なんてどうなっちゃってもいいのです。
す、すばらしいまでに可愛いですっ。
甘くて酸っぱくてやっぱり甘いお話を
ナンコさん本当にありがとうございました!